不登校の子どもが「人が怖い」と感じる背景には、過去の人間関係のトラウマや家庭環境など様々です。学校でのいじめや友人関係のトラブル、教師との不和などが原因で、人との関わりがトラウマとなり、恐怖心を抱くケースもあります。対人恐怖症という重いトラウマを乗り越えた我が家の事例をお伝えします。
我が家の事例 人が怖いとひきこもった娘
希望にもえて転校した先で不登校に
我が家は転勤族。国内、海外と1年から4年おきに転々と住む土地、学校が変わりました。土地が変われば文化も違う。その上海外が2回も入り、日本の勉強だけでも大変なものが、現地の学校へ入れてしまったものだから、語学と人間関係と心が休まる暇もなく、相当なストレスが子ども二人にかかったことと思います。
もう土台がだいぶできたから大丈夫と思っていた娘が高校生の時。駐在先で公立の高校に通い、2年目はもう少しレベルをあげた学校に挑戦してみたいと意欲に燃えて入った高校で、悲劇が起きました。
アジア人は全くいない、白人社会の高校だということを事前に知らなかったのです。クラス中の無視が1か月続き、グループで行う授業も、声をかけても無視されれば一人ではプロジェクトを進められず、教師も声をかけません。結局学校へ抗議しても無駄でした。退学して、娘はひどいトラウマを抱えたまま残りの高校生活2年間を、ひきこもりへと突入しました。
全治〇か月という診断がない心の闇
娘は引きこもり時代、心の闇が治る見込みが見えませんでした。勉強できず、人にも全く会えず、感性を磨こうと、近くの大自然に連れて行ったり、素敵な雑貨屋さんへ連れて行ったり。娘の読書の気づきに耳を傾け、目の付け所や考え方を力としてほめました。手料理に喜び、出来る限り自信を入れる努力を続けました。それでもトラウマは重症で、毎日死んだ目をしていました。これほど心がやられたら、先はどうなるのか途方に暮れました。
進路が見えない
先が見えなければ、進路も描けません。何をやりたいのか、当然夢もわいてこないのです。このままでは仕事もできず、途方に暮れました。苦肉の策として、ひきこもり2年目には、短いオランダイギリス旅行を企画しました。
娘の何か進路のヒントにと、すがる思いでした。娘の興味はどこにあるのか、観光というより娘の強みを引き出す目的です。
旅で見えた観察力
旅を通じて見えてきたことがありました。私には見えない娘の観察力でした。街をいきかう人々のファッション、上質なオランダの革製品、靴、鞄。華美ではなく、シックな黒でかためたモデルのように素敵な人がたくさんいます。
私には全く気付かない様々なアンテナが娘にはあるようで、長らく死んだ目をしていた娘が、旅先で目の色が変わり始めました。「あの人の靴はデザインが素敵」などと、片っ端から気づきをしゃべり始めました。
店頭で見かけたセンスのいい靴や革鞄をとりあげ、早速買うことに。私には目につかない、メキキの力もあると感じました。購入した靴のメーカーのHPを一緒に調べたり、どんな国で販売しているのか、たまたま手に取った靴や鞄から想像できることを一緒に話しました。
これにヒントを得て、マーケティングなんかはどうだろう、とも話してみました。モノをみる力が私よりもあると思った、それだけなんですが。
人との距離感が分からないと泣き出した
娘の感性が少し動き出し、ちょっと喜んだのもつかのま、帰り際オランダの駅のプラットフォームで、「人との距離感が分からない」と泣き始めたのです。心の闇はかくも深いのかと、絶望感に陥ったのを覚えています。
息子にはすぐに届いた言葉が娘にはなかなか効いてこない。何がいけないのか、まだやれることはあるのか。自問自答に苦しみました。
それでも、自信は目に見えないところでたまっていたのでしょう。「やっぱり人に会いたい!」「こうしてはいられない」と、帰宅後にほどなく大学への進学を考え始めました。「もう一度人生をやり直したい!」という魂の叫びでした。
結局、地元の大学で、受け入れてくれるところに飛び込みました。まだ人への恐怖と、人に会いたいという葛藤で相当揺れ動いていたのだと思います。勇気を振り絞って飛び込んだ大学で、まだ不安におびえていた娘を支えたのは、引きこもり中に覚えたことでした。
成績という点数よりも生きる力になったこと
大学に入ると、今までのうっぷんをはらすかのようにいろんな学生に話しかけていきました。さらにダンス部や留学生が集まる部にも入り、声をかけて回りました。そこで役に立ったのがひきこもり中に覚えたダンスや韓国語でした。
引きこもり中に見ていたK-POPはダンスの力に →人に教えて喜ばれ、大きな自信に。
韓国語の本や、韓国バラエティ番組を見て韓国語の力に →韓国人留学生に話しかけて喜ばれ、大きな自信に。
家族に作っていた料理で人をつなぐ →孤独な学生達に手料理でもてなし、喜ばれて大きな自信に。
このような事態は全く想像していませんでした。もう一度人に会いたい、もう一度人と話したい。その魂の叫びは、自分がもっている力で、無意識に人をつなぐ武器として使い始めたのです。
人に喜ばれることは自信になる
ダンスを教えれば人に喜ばれる、韓国語で韓国人留学生に話しかければ喜ばれる、手料理で人を集めれば喜ばれる。
大学は地元の高校と違い、世界各国、国内でも様々な地域から集まります。ペラペラよく話すように見える人たちも、意外と孤独だったりします。「今日食べに来ない?」と声をかけられれば皆大いに喜んではせ参じ、ただのラーメンでも、美味しい美味しいと喜んでくれました。
人が喜んでくれる。それは、人が怖くて人に全く会えなかった娘の心を、次第に癒していきました。傷つけたのも人ならば、癒してくれたのも人でした。薬などではなく、喜んでもらった経験で自ら傷をいやし乗り越えた自信は、何物にもかえがたいものだとつくづく思いました。
子どもの自信を取り戻すために親ができること
親にできることがある
子どもが社会に出る前に、親にできることがあります。心が底の状態の時に、自信を入れて引き上げられるのは、親しかできないことで、親だからできることだと思います。ある程度自信がたまり、外へ目を向け始めたら、外で自信を入れてもらえるチャンスが増えます。
人に傷つけられた傷は、人に癒してもらえたら乗り越えられるのです。人に喜んでもらうことが、これほど自信になるとは思いませんでした。好きなことを人に教えて喜ばれるのは、ひきこもりなどトラウマ克服の突破口ということです。
私たち親は、つい進学先、就職先と気になるのは当然ですが、このような成績表に表れない子どもの良さや興味が、断崖絶壁で生きる武器に変わるのだと娘が身をもって教えてくれました。
我が家だけの話なのかと注意してみていると、ひきこもりからの脱出記事として、好きなこと、昔好きだったことがきっかけだった例が多く見られ、突破口というものはあるはずだと思い至りました。そして生徒さん達も同様に、好きなことを突破口に道を拓いています。
我が家に生まれた意味がある
子どもの課題は切り離してお母さんは楽しみましょう、ということをよく聞かれますが、意味の取り方に注意することがあるはずです。血を流して苦しんでいる子どもをそのままにして、我が家は解決できませんでした。
親としてやれることがあります。愛情をこめて声をかけ、観察しながら子どもの気づきや判断を任せる。そして徐々に問題解決していく姿を「見守ること」、を私は提案します。
先回り、過干渉はなくすべきですが、言葉がけや聴いてあげることは、親として大切なことです。そして忘れてはいけないことは、我が家に生まれた意味があるということ。補助輪を必要とせず、初めから上手に自転車を乗りこなせる子もいれば、補助輪を長く必要とする子もいるでしょう。
親が必死で自信を入れる必要もない子もいるかもしれません。でもいいのです。人は人。つまずいた理由があるはずです。より高く飛ぶために。あれがあったから今があると、私は今も娘と言い合っています。
まとめ
挫折をバネにかえた子は、自分の道を探し始めます。その姿を見て親も喜び、親子共に新しい人生を切り拓いていけると今なら思います。親子もご縁です。渦中は大変でも、親子共に乗り越える努力は裏切りません。光はもうすぐです。