子供のひきこもりが長引くと再登校や社会復帰が心配になりますが、学校に行けない、外に出れない時は、心が閉じ、思考も働きません。文字を追えない状況です。
まずは【好きなこと】【得意なこと】で脳を動かし、感性と自信を取り戻します。好きなことで自信をつければ、自分が必要と思う勉強に戻ります。まさに急がば回れ。
誰でも輝きたい願望を生きる力に変えるのは、実は身近な「好きなこと」なのです。
娘がひきこもり中にやっていた手料理が、対人恐怖症を消し、リーダーになるきっかけになったストーリーをご紹介します。

対人恐怖症を克服した道のり
壮絶な人種差別からひきこもりに

娘は高校時代、2年間ひきこもりになっていました。もっとレベルの高い高校へ行きたいと志願して、現地の私立高校へ転入したのが間違いでした。
壮絶な人種差別を受けてひどい対人恐怖症になり、人に会えなくなったのです。
2年間家でホームスクールという形式をとりましたが、人へのトラウマは重症でした。
これを解決できるんだろうか。進路はどうするんだろう。どうやって社会へ戻そうか。
毎日うつろな目とだるそうな体調を見るにつけ、私も娘も絶望感で一杯でした。たった1か月いた高校で、2度目の駐在のため言葉の壁ではなく、アジア人への完全無視というトラウマは、なかなか消えませんでした。
私が言葉かけを学び、自信をつける言葉かけを続け、旅に出たり娘の強みを探して伝え続けて2年後。
娘は自信を少しずつためられたのか、
このまま一人でいたくない
もう一度人に会いたい、人生をやり直したい
そんな魂の叫びから、勇気を振り絞って、家族と住んでいた駐在先の大学へと飛び込みました。
長い道のりでした。
実は大学は孤独な人でいっぱい

大学は地元の高校と違い、人種のるつぼでした。アジアの留学生がわんさか来ていたのです。
留学生は国ごとにかたまり、わいわいやっているように見えても、実はみんな孤独でした。
現地の学生も、全国から集まれば孤独な気持ちはだれもが同じ。日本でも高校から一人だけ入学したら、一人ぼっちの寂しさは本当に大変でしょう。
逆をいえば、みんなが同じスタート。
それは先に、人をつなげることができる大きなチャンスということです。これは日本でも同じことで、皆が同じスタートの時は、怖くても大きなチャンスなのです。
娘は勇気をふりしぼって今までのうっぷんをはらすべく、新歓のイベントで積極的に声をかけ始めました。今まで長い間孤独で苦しんでいた分、反動は逆に大きくなります。
得意なことで孤独をのりこえる

娘は孤独な人たちに、「今日夕飯食べない?」と誘い始めました。
人に声をかけるなんて、人が怖かった娘には断崖絶壁からバンジージャンプで飛び降りるようなものです。
でも学生はけっこう孤独なんです。娘はひきこもり中に覚えた韓国語で留学生に声をかけたから、韓国人たちが大喜びでやってきました。
孤独な学生たちは、ただのラーメンでも感動してくれます。ちょっと中華風のおかずをそえたらもうヒーローですおいしい、おいしい、と皆、大いに喜んでくれました。
(勉強に向かえず韓国語ばかりやっていた娘が、生きる道を拓いた記事がこちら)

手料理からイベント主宰者になる

韓国人だけでなく、イベントで知り合った中国人、アジアが好きな白人など、一人ずつ手料理パーティーへ声をかければ、みんな例外なく大喜びでやってきます。
娘の手料理をきっかけに人種を超え、人をつなぐ場になっていきました。
そこでいろんなアイデアが生まれました。
今度ハイキングしたいね
キャンプはどう?
みんなワイワイアイデアを出すものの、意外とそれを実行にうつす人はいなかったのです。
企画してくれない?
娘は言われるままに、キャンプやハイキングまで企画するようになっていきました。
企画するとなると、いろんな人を動かします。
調べたり、人に聞いたり、仕事は増えます。
企画が本当に形となって大勢の人が参加した時、大きな達成感となりました。

お酒を持ってくる人、キャンプのパーティーを楽しませてくれる人、みんなの特性がキャンプを盛り上げてくれました。キャンプは大成功で、後々
あれは楽しかった。またやってほしいな
と、大好評でした。けっこう皆、人任せなんです。でもこれは娘にとって、ものすごく大きな転機でした。
というのも、
- 勇気を振り絞って手料理で人を集めた
- 人種を超え、手料理でみんな喜ぶと知った
- 人種を超え、人の輪が広がった
- みんながやってほしい企画を実行した
- 実行したら喜ばれると知った
自分が主宰者になって人が喜ぶ。これは、最高に自信がたまり、人への恐怖が減っていきます。
娘がよく口にしていた
人との距離感がわからない
という恐怖を確実に減らしていきました。
ひきこもり中に家族のためにやっていた、なんてことのない料理が、ここまで大きな突破口になるとは全く想像できませんでした。
人との距離感が分からないと泣いていた過去

大学に入る前、娘はこんなことを言っていました。
人との距離感が分からない
先の進路が描けず、大学に行くなんぞ考えられなかった時です。
解決策を求めて心機一転、旅に出て娘の進路や強みを考えようと、娘とオランダ、イギリス旅行へ出かけたときのことでした。
道中、娘の感性はワクワク感でよみがえり、モノをみる力、メキキの力があると知りました。
しかし、旅も終盤、
人との距離感が分からない
と言ってオランダの駅のホームで突然泣き出し、心の傷の深さに絶望感しかありませんでした。
娘は社会に復帰できるのか。先を考えて暗くどん底に陥りました。
でも後々、引きこもり中に好きで作っていた手料理が、人への恐怖を消す強烈な武器になるとは当時想像できませんでした。
(親子で悲壮な決心で出かけた、オランダ・イギリス旅行の記事がこちら)

まとめ 得意なことでリーダーへ

社会人になって~営業として飛び回る
「ちょっと食べにこない?」
対人恐怖症の人間が、そうやって人に声をかけるのがどれだけ怖いか、普通の人にはわからないかもしれません。
でもその恐怖を乗り越えたのは、ただの手料理という強みだったのです。(正確に言えば、ひきこもり中にやっていたたった3つのこと:ダンス、韓国語、手料理が、恐怖を乗り越える武器になりました。)
娘は人の輪を広げ、自信をつけたあとは日本でも学びを続け、就職していきました。
パワハラにも泣かされましたが、今は海外を舞台に日本の技術を海外に売る営業で飛び回っています。
営業は売るだけではありません。
商品知識も同時に学ばねばならず、理系でもないのに難しい知識を日々学び続けています。
今や対人恐怖症はみじんたりともありません。
お客様に日々出会い、接待、商談の場も当然多く、電話で知らない企業へ新規開拓もします。
娘は子供時代から声も小さく、人前に出るタイプではありませんでした。
ひきこもり中に心の土台を築き直した効果ははかり知れないと思いました。
あの時代は、無駄どころか、大きなバネになっていったのです。
子どもの気質は変わる
トラウマは消せない、とか
子どもの気質は変わらないとか
いろいろ聞きますが、決してそんなことはない。
私は娘の経験から、
人は目の向け方次第で、本来の力を輝かせると知りました。
- 得意なこと
- 好きなこと
- 小さい時に好きだったこと
があります。それが自信をつける突破口となり、勉強へ再び向かうきっかけになるかもしれません。
そして人をつなげ、人の輪を広げるリーダー的な行動を始めるかもしれません。
今ひきこもりでも、きっかけ次第で大きく変わります。ただ見守るよりも、積極的に良さや強みを伝えていきましょう。
心の土台は親しか築けません。一歩踏み出せるようになれば、あとは本能的に自分の武器を使い始めます。そして人から自信をもらい、好循環が始まります。
学生の場合は、いま勉強に向かえなくても、
得意なことで人に喜ばれ、自信をつければ、自分が必要と思う勉強を始めていきます。
お子さんが好きなこと、ワクワクしていたことを思い出す時間をとりましょう♪
無料体験ではお子さんの強み、お母さんの強みも引き出して、現状からどう突破口へ導くかご一緒に描いていきます。お気軽にご相談ください。ひきこもり克服への道が始まります。
参考投稿
下の投稿は、娘がまだ元気だったころ、息子が倒れたときのお話です。
息子が自信を全て減らして部屋に閉じこもった後に立ち直れたのは、親の言葉と、初めて自分で焼いたお菓子でした。
